コンプレックスとは、心理学・精神医学の用語で簡単に言うと「劣等感」を指すらしい。
劣等感…この感情にはたくさん振り回されてきた。つい最近まで悩まされ、振り回されてきたと言っても過言ではない。
幼い頃から周辺の人達に「変わっている」と言われてきた私は、いつしか人と違うこと、変わっていることが自分のアイデンティティのようなものになっていた。”人と同じである”ということにものすごく嫌悪感を持っていたと思う。
社会に出るようにってからもしばらくはその考え方が続いていて、子どもっぽいわがままのようなことを”自分らしさ”だと勘違いして押し通して生きていた。日本で言う社会人らしからぬ服装、髪型だったと思うし、生意気なことも言っていた。今思うと本当に恥ずかしい。ただただ周りに恵まれていたと思う。
そんな感じで転職を繰り返したり、失業保険を食いつぶして遊ぶニートだったりしているうちに、20代後半から『普通に』働いている周りの人達に対して劣等感を持つようになった。
学生の時は、人と同じではないということである程度評価されることが多かったのだが、社会に出てみると、その当時はまだ大変なことがあっても一つのところで真面目に長く働く、みたいなことが評価されていた。つまり一転して、私みたいな中途半端なアウトサイダーはただのダメ人間。評価には値しないということに気づいたのだ。繰り返すようだが、周りに恵まれていてそれなりに生きてこれた、その程度だった。
そのことに気づき始めた頃、仕事で出会った人に自分のその劣等感について話したことがあった。直接的に話したわけではなかったが、その人には私がある種”普通”である人たちを上から眺めて自分は違うと思って自分を保とうとしていること、そういう考え方の幼さがバレてしまったのだと思う。その時言われたのは、「普通でいることは実はすごいことだよね」「”普通”に憧れるよね」ということだった。それは別に普通に見える人たちの方が偉いということではなく、普通に見える人もそれぞれ苦労や努力があったりなかったりだし、変わっていると言われる人がすごいわけでも偉いわけでも、逆に劣っているわけでもない、ただそれぞれが違う人間で自分と違う人間には憧れるよね、ということだったと思う。
”普通”に見える人たちに憧れるがあまり、普通に成れない(と思っていた)自分に劣等感を持っていることを自覚した瞬間だった。
それから少しずつ少しずつ思考を変えてきて今がある。
今なら、自分のアイデンティティのようなものを”人と違う・変わっている”ことだと考えていた事自体「本当にわかってなかったな〜!子どもだったな〜!」と思う。だってそもそも「アイデンティティ=自分が自分であること」じゃなく、自分というものを人との比較でしか認識できていなかったということだからだ。
今も人と比べて劣等感を持つことが全くなくなったとは言わないが、そもそも人と比べること自体意味がないことだと思って生きられるようになった。自分が自分のことを幸せにできればそれで良いのだと、自分軸で生きている。人からどう評価されるかは、気にすべき場面もあるが、それが全人格の評価にはならないと、いい意味で過度に気にしないでいられるようになった。
今こうしていられるのは過去の自分という黒歴史があるからだと思えば、それはそれで良かったのかもしれない。思い返したくもない恥ずかしいことだらけで忘れたいけど、、、何年厨二病やってたんだか。
そんな「劣等感」というコンプレックスをだいぶ克服した私が今感じるコンプレックスは、もっぱら美容関連の内容ばかりだ。誰かと比べるというよりは、自分の理想と比較して感じるコンプレックス。下半身がボリューミーすぎること、クマが老けて見せていること、肌がたるんでいること、エラが張っていること、などなど言い出すときりがない。楽しく働いて、稼いだお金と理想の姿になりたいという強い気持ちで克服していきたい。