おとんと私

今日は月一投稿~!先月の“母親について”に引き続き、“父親と私”について書こうと思います。
私のおとんはかなり変わりものです。周りから見ると特徴となる部分も家族同士だと慣れて見えなくなっている部分ってあると思うのですが、そんな娘から見てもかなりの変わり者。いわゆる元祖オタクな気質を持つ父親です。昔から、何でもコレクター。そして乗り鉄。好きなことになると人の会話を奪ってでも話す話す話す。。。!

オタク気質で人との距離感が掴むのが得意でない父親は、娘に対してもどこかぎこちなく小さい頃は自分にとって不思議な存在でしたが、大人になってからは父なりに愛情を注いでくれていたんだなと感じることができるようになりました。新しいことをやろうとするときはいつも背中を押してくれる応援してくれる存在です。


大学時代はもっぱら鉄オタ、社会人になってからは山登りと美味しいもの巡り。。。週末は趣味に明け暮れる日々で気づいたらあっという間に33歳に。(自分と重なるところ大いにあり。)彼女もおらず、女性の気配もなし。見かねた祖父母がお見合い話を持ってきた中で、うちの母親と出会ったわけです。実家から出たことがなく家事能力はゼロ。中身は中学生。遊ぶことがとにかく大好き!母は相当苦労しただろうと思います。仕事はシステム系だったせいで毎日深夜帰り、週末は休息がメインでたまの家族サービスの時にもどこか不機嫌な父親でした。今考えると、遊ぶのが大好きな父親が、自分の時間がほとんどなく仕事に明け暮れる日々は理想からかけ離れた不本意な生活だったのかもしれません。よくぞ、マイペースで箱入り娘な母親と娘三人分の食いぶちをたった一人で稼いでくれたのだと思います。
社会人になってから特にその大変さと有難さを感じました。


そんな父親ですが、女性の多いセクションで働いていたせいなのか、それ以外にも理由はあると思いますが、ジェンダーに関して開けた考えを持っていました。
3人の娘たちに対してしきりに、”これからの時代、女性も男性と同じように平等に生きる時代が来る”、”だから自分の人生において働くベースを作る、そのマインドを持つ、キャリアを描くことを考える”、女性の社会進出について非常に肯定的な教育でした。その甲斐もあり、日々の勉強のモチベーションにもなったし、私自身男性と肩を並べて生きる、むしろ男性や女性という性別の違いを考えずに生きることが自然に身についていったのだと思います。その教育を施してくれたことに大いに感謝しています!!


母親が専業主婦だったこともあり、社会人になって壁にぶつかった時にはいつも相談に乗ってくれました。こんな上司がいてどうしたらいいか、こんな仕事が割り当てられたがどのように遂行したらいいか。“As-is”と“To-be”をイメージしてそのギャップを細かく細分化するんだ!と図解で説明されたのですが最初は何のことかさっぱりわからず(;^_^A のちに会社の研修を受けたときに、なるほどこういうことを言っていたんだと分かったり。


父親はよっぽど働くことが好きでなかったのかもしれず、60歳定年になってあっさり仕事を卒業しました。60歳で定年、その後毎日がホリデーなんて時間を持て余し過ぎるのでは?と心配したのですが、その心配は無用でした。それから10年以上たった今でも、毎日忙しそうにしているんです。まるでこの35年間遊べなかった分を取り戻すように。なので60歳で定年して本当に良かったな、と娘から見てもしみじみ思います。


そんなに仕事に明け暮れていたはずなのに、不思議とお友達がたくさんいて、ある時は会社の後輩や同僚、ある時は大学の同期やご近所さんと、山に登ったり鳥を観に行ったり、麻雀をしたり、お母さんとも旅行に行ってみたり。定年後はさすがに家事をやらないわけにはいかないので、自分の分の洗濯をしたり、お料理の下ごしらえをしたり。残念ながらお料理のセンスがないので、作ることは母からNGが出たようです。

私の趣味も父からの影響を大きく受けています。いつのまにか電車に乗ることが好きになり、特に東北のローカル線に乗るとわくわくしたり、秘湯を訪ねたり。ここ数年ハマったキャンプも、父親の山登りの趣味のお陰でギアが揃っていたことや、家族でしょっちゅう森に出かけていた思い出が、間違いなく影響しているはずです♪

こうして記事を書くことを通して母親と父親について振り返ってみると、自分は本当に父親と母親からちょうど半分こで影響を受けてできたんだなとしみじみと実感しながら、そんな自分を気に入っていることに気づかされます。こうやって毎日日々楽しく、ご機嫌に、のびのびと人生を生きられているのは間違いなく二人のお陰ですね(*^-^*)ついつい忘れてしまうこの感謝の気持ちを胸に、毎日を紡いでいこうと思います♪
M子