あなたは『YESマン』と聞いてどんな印象を受けるだろうか?
かつての私は、言われたことを「はい!(=YES)」と言って完遂することが最善だと考えていた。
それが評価されることだと信じていたし、それができないのは自分の実力が足りていないからだと考えていた。
今思い返すと恐ろしい…
言われたことややるべきことをきちんとする、それはもちろん良いことなのかもしれない。
でも言われたことでいっぱいいっぱいになってるのに、なおも「YES」と引き受けてしまう結果、十分な仕事ができなくなって本末転倒。全然良いことにはならない。
かつての私が、なぜ言われたことを疑いもなく、もしくは(それは本当に私がやるべきなのだろうか…?)と思いながらもその疑問をぶつけることなく「YES」と引き受けていたのか。
まさに「自己肯定感」や「自己有用感」が低かったせいだと、今ならわかる。
人の評価でしか自分を認められない。
誰かに感謝されることでしか自分の存在意義を感じられない。
その考え方が、「NO」と言った時点で自分の存在価値がなくなる、ということになってしまっていた。
他のカルチャーのことはよく知らないが、日本は相対評価されることが多いのかもしれない。かつての私は人との比較や“普通”や“みんなと同じ”という謎の基準に振り回されて、自分の基準で判断するということが、独りよがりとか自己中心的なことだと思っていた。そもそも自己中心に考えるということ自体がただ悪いことだ思っていたし、自分なんかが自分の基準で物事を判断して、それが認められるはずがないと思っていた。
今はというと、自分の機嫌は自分で取れるようになったし、自分の力量もだいたい把握しているし、やりたくないことはやらないという選択ができるようになったので、格段に生きやすくなった。仕事の断り方も覚えたし、断った方が良い場合が往々にしてあることも理解している。今の状態が良いとすれば、自己肯定感の低さから何でもYESと言って失敗してきたから今があるとも言えるし、もっと早くわかることもできたんじゃないかと思ったりもする。
年齢や経験に関わらず、自分の基準で物事を判断してきちんと人に伝えられる人はいるのでもちろん人による。私の場合は気づくまでに三十年ちょっとかかってしまった。これからは、ずうずうしいおばさんにならないように気をつけつつも、自分を第一に大切に、他人を思いやりながら生きていきたい。