私はルイヴィトンやグッチ、シャネルやエルメスなどの、いわゆる”ハイブランド”と呼ばれるファッションブランドが好きだ。(ここ数年はボッテガ・ヴェネタ一択)
物心ついた頃から、自分を着飾ることが好きなオマセさんだった私のハイブランドデビューの品は、アムラー/コギャルブームの真っ只中に流行ったルイヴィトンのモノグラムのリュックとお財布。
これが私のハイブランド大好き人生のスタートだろう。
なぜそんなにも若いときからブランド物が欲しかったのだろうか。
自分を大きく見せたいから?
優越感を感じたいから?
流行り物を持っていることに対する安心感を持ちたいから?
決してそうではない。
質の良さや、絶妙なシルエット、職人さんの成す技の凄さ、などは言うまでもないが、
きっと中学生の私はそこまで、わかっていなかっただろうし、今日話したいのはそういったことではない。
きっと私は「ファッションが好きだという証」が欲しかったのだ。
いや、過去形ではなく今も変わらず現在進行形でその「証」を欲しいと思ってブランド物を買っている。
では、「ファッションが好きだという証」とはなんだろうか。
ハイブランドは、アパレルのピラミッドがあったとしたら頂点にいる存在であり、アパレル界の原点だ。
つまり、私たちが手に取りやすい洋服たちは、
薬でいうとジェネリック、音楽でいうとサンプリング。「元」になるものがあって生まれたもの。
そのことを、きちんとわかってますよー。私は本物志向なんですよー。トレンドを分かってますよー。ということを表現するために、ブランド物を持っているのだ。
見る人が見たら、それが「ファッションが好きな証」になる。
誰に向けてのアピールかは自分でもわからない。笑
むしろ色々な人にわかってもらうよりも、「見る人が見たら」のレベルでちょうどよい「証」。
ただの自己満足と言われてしまえばそれまでだが、それがあることで自分に自信がつく。
私にとって、「ファッションが好きな証」は自尊心を高めてくれるものなのだ。
ZARAやH&Mなどのファストファッション(UNIQLOはまた別枠だと思っている。)でも良いものはたくさんあるし、よく利用する。
正直、大人になるに連れて、
着る物や持つものにこんなにお金をかけなくても良いのでは…と思うときもある。
でも全てをジェネリックにしてしまったら、私がファッションが好きだということを周知できなくなる気がしてしまう。
もっというと、自分が自分でなくなる気がしてしまう。
だから私はブランド品を買うのをやめない。
自己満だとしても、自分を作り上げている大切な「証」だから。
ps
自分の周りや、街中で人が持っているのをよく見かけるハイブランドのアイテムはあまり買いたいと思いません。もし買ってしまったら売ります笑