わたしは共感性羞恥を感じやすい性質だと思う。
他人(知っている人・知らない人に関わらず自分以外の人)が恥をかく姿を見るのが極端に苦手で、とにかく目を逸らしてしまう。
人が恥をかいていたり、騙されていたり、勘違いしていたりする姿で共感性羞恥を感じることがある人は少なくないかもしれないが、わたしは度が過ぎているかもしれない。例えば、本人が恥ずかしがっているように見えないときでも、その人が発言したり行動したりすることを自分に当てはめて勝手に恥ずかしくなってしまうことすらある。もちろん、恥ずかしいと感じてしまう対象をバカにしたり、笑ったりしているわけでは断じて無いし、恥ずかしいと感じてしまっていることを表に出さないようにしているが、本当に失礼な話だと自分でも思う。でもそう感じてしまうものはなかなか止められないから困ってしまう。日常生活でそういう場面に遭遇すると、動悸が激しくなるしソワソワする。
最もよく目にして気分が悪いのは、テレビの「ドッキリ」というジャンルのプログラムだ。ずっと存在し続けているので、自分がきっと敏感すぎるのだろうし、一般的には面白いのだろう。芸能人の普段見れない姿が見れたりして嬉しかったりするのかもしれない、と想像はできる。
でも、仕掛けられている本人はどう思っているんだろう。恥ずかしい思いをしている人を見て笑うのは、一般社会でやったら完全にいじめだ。ってそんなちゃんとした話はきっとすでに議論があるだろうし、わたしはそれがしたくて書き出した訳では無いのだけど。
良く言えば感受性が豊かとか、医学的?に言ったらHSPとか、もう私自身の性質の問題なんだろうけれど、共感性羞恥が発動したときの身の置きどころがわからなくなる感覚は困ったものである。
とにかくわたしは、どうにか自分のこの感度が高すぎる共感性羞恥と付き合って生きていかないといけないらしい。